融通念佛宗
融通念佛宗は、平安時代後期に成立した古い歴史を持つ宗派です。
宗祖良忍上人(聖應大師)は、延久四年(1072)、尾張国知多郡富田荘(現愛知県東海市富木島町)でお生まれになり、十二歳で比叡山に登り仏道の途に入られます。上人は、二十一歳ですでに多くの修行僧を教導する講主の職に任ぜられることになりますが、少しずつ世俗化していく比叡山から本来の仏道を求めて、洛北大原に隠棲されることになります。
大原での良忍上人は、世俗の営みを断ち、ひとえに往生を願って修行の日々を送られます。かくして上人四十六歳の永久五年(1117)五月十五日 午の刻(正午)一心に念仏を称えている中に阿弥陀仏がお姿を現し、融通念仏の法門を授与されました。その授与された御文を「弥陀の妙偈」といい、融通念佛宗の教えの要となるものです。
一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行
是名他力往生 十界一念 融通念仏 億百万遍 功徳円満
良忍上人を語るとき、忘れてはならないのは“声明”です。
声明はもとインド五明の一つで音声・言語を研究する学問でした。それが転じて経文に曲節を付けて唱える梵唄を意味するようになりました。仏教音楽と考えてよいでしょう。
声明は古くから中国に伝わり、北魏の頃、陳思王曹植が出て天台山の一峰である魚山を根拠地として梵唄を盛んにしました。
日本でもすでに奈良時代に経文に抑揚をつけて唱える風習がありましたが、平安時代に入って仁寿年間(851~854)天台宗第三祖 慈覚大師円仁が入唐して梵唄を伝えたのが源流といわれています。慈覚大師は中国天台山を模して大原来迎院一帯を魚山と称し、仏教音律の根本道場としたのが始まりでしたが、一時衰退したのを良忍上人がこれを再興し、魚山流声明を大成されました。実に良忍上人が声明中興の祖として仰がれている所以です。
大原には、音無しの滝や呂川・律川など良忍上人の声明に因んだ名称が残っています。